居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

自分のルーツを抱いて寝ろ

もう年の瀬ですが、みなさんいかがお過ごしですか?

私は確定申告のことを考えると、夜しか眠れないです。

 

今年は有給消化をした関係もあり、色々な本や雑誌に出会いました。

そのなかで沖縄や韓国の「故郷・地元に対する想い」と出会うことがあって、学びながら彼らの想いが尊重されることを願いつつ、ふと、

私はこの感情を知らないかもしれない、

と不安になった。

正しくいうと不安ではないかもしれない。滑稽で複雑な感情だ。

今日は掲題にもある、ルーツの話。

あくまで個人の話ですよ。

 

 

もともと「愛国」という言葉に抵抗がある人間だった。

 

というのも、根底に「国とかそういうレベルの話じゃなくて、そもそも私が生きづらいんじゃいっ」ってずっと思ってたから。

ぼんやりと、そういうことを言う人たちを同じ時代に生きている別の人たちのように思って過ごした気がする。

 

スポーツで「日本代表」って言われても私とはなんの縁ゆかりのない人間だし、ちょっとテレビで見かけたくらいでなんの親しみもない。

寺とか神社は好きだけど、正直そこに「歴史の面影」とか感じたことがない。周りも中も大分整備されているし、建造物として見ているだけだ。(これに伴って私は旅行先の建築物の歴史にさほど興味を示さない。そういわれても「ああそうなんだ」で終わるから。逆に歴史を知って観に行きたくなることはある)

海外に行ったことは2回しかないけれど、日本がいいなあ、ともさほど思わなかった。国内を旅行するように海外旅行に疲弊しただけだ。(もちろん言語の問題はあるが、それは愛国とは別の話だろう)

 

もっと突き詰めれば、私は特段、地元や出身地に対して愛がない。

よく鎌倉のお菓子とかを人に配るので、「出身地好き」扱いされるがそんなこともなくて、「自分が食ったことあるやつ」で「みんなが知ってそうなネームバリューのもの」を人に渡しているだけだったりする。(ただ、豊島屋さんは本当に気骨ある会社で、応援の意味で時々鳩サブレ-買います)

自分が味知らないものを渡すのに抵抗ある時が多いので。どっかのお土産以外はね。

 

鎌倉にいたせいか、寺や神社や自然は好きだけど、鎌倉という場所に住みたいとは今でも思わない。引っ越しの際、姉が嫌がっていたが私の方はあまり、といった感じだった。まだその頃には「どこかに行けば変わるのかもしれない」と思っていたのもある。

好きな場所こそあれど、その地元に執着するという考えがまったくなかった。

 

過去被災地にボランティアに行った際も、「こんなことがあってもまだここに住みたいという気持ちがあるんだ」と鈍く脳の奥で感じていた。それを実際口にするのは憚られた。だって大体の人が「地元に愛がある」「地元が懐かしい」、そういうスタンスで生きているから。

私の祖母もそうだが「ずっとそこに住んでいる」というのは、思い出がパンクしないのかな、と。(祖母は70年以上同じ場所に住んでいる。町内で言えば90年以上)

飽きる、というのはちょっと違う。楽しい思い出もあったかもしれないが、人生なんてそれ以外の感情の方が侵入してきやすい。

そんなものを抱えて、同じ場所に生きていけるのだろうか。

特に被災、戦争、中傷が起きた土地で。

私は弱い人間なんで無理だが、それをも抱いて地元で生きたい人はいるのだろう。

 

私は沖縄のやんばるのような、アピチャッポン・ウィーラセタクンの映画に出てくるような鬱蒼とした自然が好きだ。

すごい生命力を人間以外から感じることで、自分の生死なんてちっぽけなもので何の影響もない、という精神的自殺ができるからだ。孤独はいつだって、猥雑な人生のなかにほんの一瞬しかないゆったりとした時間を与えてくれる。

でも、そこでは自分は生きていけないのも知っている。自分は短気で、愚鈍な行動を繰り返すタイプなので自然のなかに居続けたらきっと疲れ切ってしまうだろう。PCの中アリなんかが詰まってたりしたら、憤死する。

 

好きなものこそあれど、私には故郷がない。両親もいなくなったし、どちらかと言えば親戚含め縁を切りたいし、好きな土地もなければ、帰る場所もない。

そう思うと、奪われた人たちが必至で取り返そうとしているような、突然都会で暮らしていた人が大自然のなかに住んでしまうような、そういった「ルーツ」というラベルの箱が、私のなかでは空っぽだ。

生まれてからずっと旅している感覚。家が好きとか、そんなこともない(会社よりもちろん好きだけどね)。山で言えば、人生ずっとビバークしているようなものだ。

好きな場所はあるのに、自分の住んでいる場所への愛着がストーンと抜けているのだ。

運命的な土地との出会いがない限り、ここはもうずっと埋まらないだろう。寂しくはあるが、私はどこへでも行けるのだ。

そう思うと心強い。

 

さて、まあ自分にそういった感情がないからといって「ルーツ」を大切にする人々を無下にはしない。ただ、ルーツ自体がないことや「独自の」ルーツを秘めていることも許容して欲しい。

 

私は私の「根無し草」というルーツを抱いて寝るよ。

 

奪われてしまったルーツが、その人のもとに戻りますように。

妄信的になってしまったルーツから、その人たちが解放されますように。

 

祈りを込めて。

 

寒いのでみなさん、お身体お大事に。