居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

流れるようなラストナイト・イン・ソーホー ネタバレ含む感想

皆さま、年が明けました。

まだまだ落ち着かないご時勢ですが、少しずつ笑顔の多い年にしていきたいですね。

 

私は餅が好きなんですが、

コイツを食べることによって体重が増えることは過去何度も実証されているので、

複雑な気持ちでいっぱい食べています。

 

さて、タイトルにも書きましたがラストナイト・イン・ソーホーの感想です。

私の感想は観た人にしかわからないのと(つまり観る前の人にやさしくないです)、この映画自体アテンションする内容なので(女性が性的暴行を受ける内容があります)それを踏まえたうえでOKな人だけ進んでください。

 

 

私は映画を観る前、あらすじを読み込み、ネタバレを読むタイプである。

人には「それってつまらなくない?」と言われるが、気に入った映画以外は何度も観たくないタイプなので、要点をなるべく早くまとめておきたい(観たあとに考察などを観ても「そんなことあったっけ?」ってなるタイプで、自分がその映画を楽しみ切れなかった気持ちになる)。

今回はあらすじを読んで、「お、今これ扱うかあ」という感じでした。

華やかな60年代のなかに紛れた、薄暗い性的な部分。それに、女性2人でダブル主人公だ。

近年日本でも糾弾されている「女性の尊厳」そして「性暴力」問題。もろに頭からぶっこんでいく感じ。これを主題にしたいかはさて置き、この時代にこれを映画(エンタメ)するなら、避けては通れない議題である。

さて、監督はどう調理するのか。内容よりも好奇心が勝って観に行った。

 

一応保身のために言っておくけれど、

私は映画に詳しくない、音楽もさほど詳しくない。でも、当たり前だが観客はそんな「分野ファン」ばかりではない。というか、圧倒的にそうじゃないやつの方が多いだろ。だから、映画として楽しいかどうなのか、そういうスタンスで観てます。

 

端的に言うと、エンタメとしては成功している気がする。ただ、女性を描くには軽やかすぎる気がした。

パンフレットも購入して読んだが、そのなかで村山章さんが「現代のフェミニズム

映画として評価するには足りない部分も多い」と言っているように、やはり男性目線でつくられていて、本当の「吐き気」がしないから?と考えてしまった。(村山さんの文章がパンフのなかで一番おもしろい。ぜひ読んでください)

私はライト監督の他作品は『ベイビードライバー』しか観たことがないのだが(よかったら過去のブログ見てね)、ストーリーはさほど難しいものではなく、ラストは「はい!これはフィクションでした。おしまい!ちゃんちゃん!」というような、ある意味軽快な、ある意味こちらがぽかんとしてしまうような引き際のよさがあった。そして『ラストナイト・イン・ソーホー』のラストにもこのような感覚がある。そして、これを成り立たせているのが「素晴らしい映像と音楽」による「ギリギリの軽快さ」なのだ。

小物に色々こだわりを見せているように、「オマージュ」をふんだんに盛り込むのが、ある意味この監督の作風に思える。現に映画評論家はそれを説明するので持ち尺を使ってしまいそうだ。私はそういった知識には疎いが、そうでないと、ホラーの部分はややおざなりではないか?と感じた部分は少なからずあった。そこを「おざなり」と感じさせてしまうのが、やはり「軽快さ」なのだ。

ホラー要素①として、前述した「吐き気」についてだが男が女性を扱うシーンがやや「見にくく」描かれていた気がする。それは、そこを重くしてしまうと、映画は長くなってしまうだろうしラストまで軽やかに走り切れない。でも、正直言って犯されているシーンをサンディと交代しながらエロイーズが体験しないと、あんなうじゃうじゃ男たちが出てきても「ホラー」にしか感じないのだ。あの状態は、性犯罪を受けた女性からは「ホラー」ではなく「恐怖と吐き気」の塊そのものである。

もちろん、これは作中の暴行シーンの程度が甘かったと言っているのではない。エリーがサンディに思い入れるためには、サンディが本当に受けたことを彼女も知るべきであった、ということである。

だが、エリーが直前で夢で冷めていたり、断片的にサンディを眺めていたからこそ、ジョンを頼れたのだ。正直、性犯罪の被害者を追体験した(ここでは繰り返し好きでもない男に犯されること)のならば、ジョンがいくらいい人であっても触れることすら躊躇われそうである。そして、「結果男を頼る」という意味を与えてしまい、非常に残念な結果となる(ジョンは「犯罪者とは違うやさしい男性」と描かれているが、私としては胸糞悪い。それは私の貞操観念が古いせいかもしれない)。

そういった意味で本当に怖かったのは二度目覚まし時計を止めるシーンと、サンディが名前を変えながらおかしくなっていくシーンくらいだった。

ホラー要素②、サンドラとサンディ(アレクサンドラ)が本当の意味で出会うシーンだ。追われて思わず屋根裏部屋に駆け込むエリーであるが、床から手が生え、壁を破り(これもなんかのオマージュなんだろうがしらん。ここの恐怖を最後の救急隊員が家に救出に来る部分と対比させるのはすごいなあと思ったけど)エクソシストもびっくりのゴーストパーティー会場になっている。そして殺されたゴーストは彼女に「HELP」を求めるのだが、エリーは「彼らを助けない」と突き放す。ここからが、エリーがサンディの心に寄りそうという最大の見せ場かと思うのだが、ゴーストたちがね、雑なんですよ!のっぺらぼうだった彼らの顔が見えるんですが、わりかし元気そうな状態で苦しみの演技をしているんでもうなんなの?って一瞬真顔になってしまいました。予算ですか?予算の関係なんですか?

 

そしてあまり書きたくなかったのですがキャストの件。

ジョンの気になる部分は上にチラッと書きましたが、最後エリーがサンディを抱きしめるために、ここは女役ではなくチープな「未来の恋人」となってしまったことを残念に思います。だって「男なんて裏切る」んだから(エリーに惚れたならもう少し妄信的でいてくれ。なぜ聖者なのだ)。せめて最後は付き合ってほしくなかったわ…。

そして、私は最後までエリーという女性がつかめませんでした。

最所の登場シーンでは少女のようにはしゃぐような姿で、嫌なクラスメートに愛想笑いをしているかと思えば、終盤で一人颯爽と帰り、電話の怪しげな募集広告やガールズバーの怪しげな雰囲気を得意げに眺めたかと思えば、ジーパンにコートを合わせたり、同級生の笑い声で視線を落としたかと思えば、サンディを助けるために大声を出す。

人間の、そして若者の感情なんて揺らぎやすいものだと言ってしまえば簡単なのですが、正直彼女がもともと精神的にまいっているのか、情緒不安定なのかはわかりませんでした(ハロウィンあとから警察署まではとても雰囲気にあってましたが)。うーん、すごく難しい演技が必要だったんじゃないかと思います。

※追記

これ、ずーっと考えてたんですけど、「おどおどした女性の演技が過剰だった」というところに落ち着きました。自信なさげな女性の演技が過剰になるのは「本人がそうではないから」であって。だからパニックでアッパーなときの方が勢いあったし、うまく感じてたのか……。なるほど、こういった演技は、不快感を得やすいですよね(平たくいうと陽キャ陰キャのフリをしてるってこと!)。

アニャが演じるサンディは「絶対コイツ殺した方だな」と思わせる強さがあった笑。もっと細かくシーンを観たかった。

 

いろいろぐだぐだと、そしてきつめの批評を書いた方かと思いますが、この監督は「映像と音楽」で非常に素晴らしい映画をつくるんだ、と思ったので、ほかの部分でコメントさせていただきました。音楽チョイスの趣味の悪さ(褒め言葉)なんかはほかの人がもっと詳しいので、そちらを調べていただければ。

いや、「映像と音楽」についてはスタイリッシュでセンスがいい、と評価すべきか。

それは時間の限られた映画のなかでとても大切なことではあるが、感情の機微を詳しく解かれる題材では、効果が変わる、ということを伝えたかった。

 

また、なんか映画でもちょくちょく観ようかしら。

オチないです。