居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

自己分析、ヘタクソかっ!

「よく人のこと見てるんだね」

 

たまーーに、まれーーに、こういうことを言われます。

こう言われると、私はやっちゃったなあ、と思います。

これ、褒め言葉じゃないですし。見ているから分かっているわけではないですし。

 

人のこと分析して、カテゴライズする癖。お世辞にもお行儀がいいとは言えない。でも、学生時代、いじめとかに合ってた人は分かってくれると思うのですが、

 

「他人をどこかに位置付けたり、言葉や行動に理由付けをしないと落ち着かない」

 

ということ。

これはやっかいなことで、なんとなく他人が「ピンクが似合うね」と言った言葉は「なるほど。今着ているオレンジの服よりピンクが似合ってたっていうことを婉曲的に伝えられているんだな」とねじ曲がった解釈で受け止めてしまうようなことになる。それは、実際に合っていることもあるんですが、自分のなかの他人像がどんどんどんどん膨らんで、その人とはかけ離れてしまう危険性も孕んでいるかと思います。

(つまり上記のようなことは実際には思っていないこともありますし、自分のなかでも「オレンジは似合わないといわれている」と被害妄想的な負の感情が生まれることに繋がっているということです。)

でも、いじめられている人って「なんで自分はいじめられているんだろう」「なんでこの人はいじめてくるんだろう」ってことを、誰とも話すことなく自問自答し続けているので、こういう癖(すべての言葉と行動に意味がある、自分がいじめられることには理由がある)がついてしまうのって仕方ないのかな、と思いつつ、もういじめなんて10年以上のことなんだから忘れたいよねってがっくしきます。

ただ、「その人」の自分への「態度」というのは、「その人が私にとっていい」と思ったことにつながるので、人との付き合いを続けるか、どうかの判断基準にしていいと思います。(まれに、無自覚で意図無しに、純粋に断定的でものを話したり、強い言葉や文章を使う人もいますけど、そういう人は仲良くならないと良さが伝わりにくいですよね……。ちょっと損していると思います)

 

さて、今回はそうやって人のことを分析するのに、自分を分析できないナオンの話です。

 

私は最近転職をして、社会人になって初めてといっていいくらい落ち着いた生活を送っております。

30も過ぎて、初めて、4社目の会社でっ!

 

この点にはすごく反省点がありまして、私、すごく自分をわりかしどこでも適応できる人間だと過大評価していたんですよ。みんな「営業はやだ」とか「事務仕事は無理」って言っているけど自分はそんな嫌なイメージないな~。逆にすごくやりたいこともないし、絶対嫌な会社だけ外して受かったところに行ければいいや……。なんて就活してたし、実際受かった会社にいったんですけど、今思うと本当に「自我なさすぎでしょ…」と思います。

少なくとも「これで飯を食う!!」という壮大な夢は持たなくていいから、自分の本当に「嫌いなもの」だけは知っておけよ!って。

今は全くそんなことないですが、かつては自分は結構辛抱強い方だと過信していて。それで、自分の能力と性格に合う会社(今若干能力足りてないけど)に出会うまで時間がかかったこともあります。

30過ぎて自分のことを理解し始める……嘘やろ……。

嘘じゃないんですよ。でもまあ、「本当に嫌なことに出会う」機会が社会人までなかったという環境は恵まれていたんだと思います。そして嫌いなものがはっきりした今は、昔より感情豊かな人間になれたかと思います。正直融通のきかなさもセットでついてきてしまったんですが……。

以下社会人経験してから変わった考えの一部です。

 

・セクハラする人がいる会社/取引先にいる会社は無理

そんなしつこい人もおらんだろ、と思っていましたがもう絶対力や立場の差で勝てないです。そもそもそういう人たちって自分を軽んじているからそういう行動にでるわけで……って分析しちゃいますね。

・給料が安すぎるのは無理

学生時代はお小遣いとかもらったこともなかったので、正直生活できればと考えていたのですが、娯楽がある生活は心が豊かになりますし、何よりお金がないとお金のことを考えて暮らす生活になってしまうので、だいぶしんどいです。急な病気とかにも対応できない。

・体育会系の会社と業種が無理

いや、もともと無理とは知っていたんですけど、ごりごりな会社じゃなくてちょっとこの要素(仕事するには努力が必要、などの熱血論)が入っている人が上司になる会社にアレルギー反応があることが分かりました。

・政治的主義が全く合わない人が上司になるのが無理

政治とか宗教の話ってタブー視されているけど、色々な人がいるってわかったうえで、みんなが最適に生きるための話し合いができるといいよね。なんで会社でしちゃいけないんじゃい。なんで自〇党に献金するんじゃい。

 

なぜ自分はこんな適応能力が低いのか……と落ち込むこともありますが、人生は「我慢できるつらさ」と「我慢するべきではないつらさ」があって、そこを仕分けするのがすげー大事、というか自己分析に繋がるんだなって知りました。

つまり私の現状で言えば、自分ひとりで生きてくには仕事をしなきゃいけない→我慢できるつらさ。仕事をつづけるためにモラハラやセクハラに耐えなくてはいけない→我慢するべきではないつらさ、といったように。

 

私は恋愛でも大きく間違っていて、「甘えたいので年下と付き合うは無理」と思っていたのですが、これは実は「甘えてくれたときに自分も甘えられる」と言う条件付きだったらしく、年齢は関係なかったな、ということを学びました。

 

いや、年を重ねるごとに自分のことがクリアになっていって、そういう意味では「自分が嫌なこと」を選択しなくなってきたので、今が人生一番楽しいといっても過言ではない気がします。

今まで自分を過信していたのって、当たり前ですが自分の弱い部分を認めたくないって部分やそんなわがままいっちゃいけないっていう誰に対してだかわからんストイックさがあったと思うんですが、そういうのを受け入れられるようになって来たんだと思います。「会社でしっかり働きたいし、成果を出したいけど尊厳を傷つけられたり、性別で軽んじられるのは大嫌い」って年を重ねて感じるようになったことから「人に愛されたいけど適度に放っておいて欲しい」とか、そういった薄っぺらな感情も、自分の根幹にしっかりあるんだということを念頭に置いておきたいと思います。

 

もし、若くして悩んでいる方がいたとしても、30超えてから自分のことを理解し始めた人もいるので安心して欲しい。いや安心はできないか。

ただ、我慢ばかりの人生は美徳などではなく、自己分析ができてないせいかもしれません、ということだけお伝えしておきます。

 

相も変わらずオチはなし。