居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

つまらなくて行き詰っている話を何回もする

またまた時間が経ってしまいました。

なんて意志の弱いやつなんだ、私ってやつは。

実はここで書いていない間に誕生日を迎えました。

故に今回は自身の人生整理の話な上、抽象的な表現ばかりのため

たぶん大体の人にはおもしろくないはずなので

ご了承くださいね。

 最近は「なんでもクレームになる」世間が怖いですね。

「怒り」を露わにすることを悪とはせず、

今までの「コトナカレ」主義への見直しをしていること自体は非常によいことだと思いますが(気持ちを押し込めていると人の心は死んでいく、もとい鈍くなっていくので)

「考えることをやめてしまっている」人たちが蔓延るには非常に快適な環境になってしまっているのかなあ、と思います。

ほら、スーパーとかでスタッフに怒鳴るおじさんやおばさん。芸能人の失言に対して、上げ足を取るネットの先の人々。そういう困った人(最近はもう「困った」なんて言うレベルじゃなくて捕まって欲しいです。本当に)人々を助長するような流れが生まれなくもない、という話です。スタッフが本当に失礼だったり、インフルエンサーが差別を助長するような発言をしたり、そういう時に「まあ、仕方ないか」ではなく怒りとして主張できるのってすごく大切なことかと思いますが、我々、その「怒り」に対してあまりにも幼い。「怒りコントロール1年生」、と言ったところです。結局「怒り」も、「考える」ことをやめるとただの暴力になる、むしろなりやすい感情なので、本当に繊細に扱わなきゃいけないんだなあ、と。受け取る方も間違いなく、考えなきゃいけなくてそれを受け取った時の感情を反射で吐き返すとろくなことがない。(もちろん早く反応することで伝わることもありますが)

 

でも結局、そんな考えろ考えろって、いっぱいいっぱいになるじゃん、

考えてばっかなんて倒れるジャン。

生きていくの、本当に難しい。

 

色々、色々考えなきゃいけないこと、ただでさえあるじゃないですか。

どうやって生きてくかとか、仕事とか、金とか、老後とか。

その中で自分の感情って細かく複雑で一番やっかいなので、放っておきがちで。

歳をとるほど、本当に雑に自分の心を扱いがちで。

でも当たり前ですが心がつぶれると仕事も将来も考えられないので、

間違いなく一番大事にするべきなのは自分の心なんですよ。

 

新卒の子を面倒することが多くなってきて、

自分より若い人達の悩む姿を見ていると私がこの数年で捨ててきたものがちらつくようになってきました。

ショックを受けているとかでは全くなく、

ああ今この子が悩んでいるこの感情はもう私の中では息してないなあ

と、よく思うようになってきたという話です。

それはそれで、もちろん生きやすくなりましたけど(主に仕事的に)

もし、例えば私がこの感情を捨てなかったらどういう人間になってたのかなあ、と

ぼんやり考えることも増えました。

自分の人生の中で今、一番と言ってもいいくらい精神が安定している時期なんですが

そういう時って自分がすごく驕っている可能性を捨てきれなくて。

私が切り捨ててきた感情の中に、悩んでいる人がいる。

その人たちにどういう言葉をかければいいのか、私の言葉に何の力があるのか。

言葉を紡げば紡ぐほど、嘘くさい、説教臭い嫌な大人だなあ、と思う。

他人を気にせずに生きたいけど、他人を傷つけることで自分も傷つくので

 

まさに八方塞がり。

行き詰らない時ってないんですかねえ……。

 

30歳になったってうろうろうろうろしていて、これから先もずっと、うろうろしながら「死なない」を選択し続けられるようにしたい、とは思ってます。

 

今日また、有名な俳優さんが亡くなったことで暗い影が心に落ちました。

いつだってあちら側はおいでおいでをしていて、私たちは大体いつでも片足を突っ込んでいて。

生きることはいつだって誰にとっても大変。

せめて亡くなった彼女の心が、安らかになっていますように。

 

相も変わらずまとまりもなければ、オチもないです。

これからもよろしくお願いします。