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『リップヴァンウィンクルの花嫁』 ネタバレ含む感想

時間が空いてしまいました。

久しぶりに1か月近く風邪に悩まさせられていたのが原因ですが、

あれですね、鼻水と咳がでたら内科じゃなくて耳鼻科の方がいいですね。

速攻で抗生物質くれるので長引かない気がします。

ちなみに耳鼻科では謎の棒を鼻に突っ込まれ、鼻血が出てなんか、二次災害でした。

つらい。

 

さて、結構前に岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観ました。

なので、ネタバレ含む感想を起こそうとした次第です。

 

 映画にもそもそも明るくないですが、岩井俊二監督の作品で『スワロウテイル』なんかが好きなんで、この映画すごく楽しみにしてました。

 

パッケージの紹介あらすじが「新婚早々浮気の罪を被せられ」みたいなことが描かれてあり、私の好きな不幸に落ちてく女タイプの話かな?(性格が悪いのが露呈する発言)と思っていました。が、予想に反してなんとなく「花とアリス」を彷彿させるような、優しいお話でした。

では、以下ネタバレ含んだ感想をつらつら書いていきます。監督のインタヴューも調べずに勝手に喋るので、不愉快な人はそっと閉じてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも「リップヴァンウィンクル」って何でしょう。

アメリカの小説家がオランダ移民の伝説をもとに書いたお話の主人公の木こりの名前のようですね。

簡単に言ってしまえば「木こりが自身の名を呼ぶ男性に誘われて山奥に迷い込み、酔っぱらって昼寝をしてるうちにいつの間にか20年も経ってしまっていて、時勢も変わっていれば口うるさい恐妻も亡くなっていた海外版浦島太郎」というお話とのこと。うーーん。あらすじだけだと詳細の雰囲気が分からないですね。実際に読んで見たかったですけど、読み終わるまでに映画の内容を忘れてしまいそうなので、もう記事にしちゃいますが、この内容だと書き方によってハッピーエンド的、はたまた特に感情を伴わない不思議現象エンド的、はたまたバッドエンド的なニュアンスなのか分からないです。

違う角度から考えましょう。

この「リップヴァンウィンクル」って言葉、作中で出てくるSNSに「真白さん」のネームなんですよね。つまり「真白」が「リップヴァンウィンクル」、そうすると彼女と模擬的な結婚式を挙げた「七海」が「リップヴァンウィンクルの花嫁」となる、まあ当たり前の事実でもあるのですがこれは「七海」の話なんですよね。ちなみにSNSでのネームは「クラムボン」、「カムパネルラ」なんです。正規の教員を志望している七海らしいチョイスでもありますが、この二人?(クラムボンはなんだかわかりませんが)の共通点は「死ぬ・死んでいる」(より踏み込めば直接的ではないかもしれないですが殺されている、)です。不思議ですよね?「リップヴァンウィンクル」は妻を亡くして自分が生きているのに「真白」を指して、「クラムボン・カムパネルラ」は「死」の象徴であるかのようなのに「七海」を指しています。だって「二人」が「愛」を誓い、「死んだ」時、本当に死んだのは真白で七海は生きていたのですから。

ここからは本当に完全な推測でしかないのですが、「真白」の指す「リップヴァンウィンクル」というのは「空白の時間」であって、「リップヴァンウィンクル」現象を起こす一つの「イベント」として存在していた、というのが一番しっくりする解釈なのかな、と。

(個人的にはそもそも岩井俊二監督の作品を解釈する必要はないんだとも思っていますが、自身の中に作品を落とし込める意味で解釈しています)

そして「七海」はそんな「リップヴァンウィンクル」現象と結婚をして「生き返った」花嫁なんだと思います。個人的にはあのエンドの先に「七海」が「カムパネルラ」と名乗ることも、そしてあのSNSで安室と会うこともないんだと思います。

 

「安室」の存在について。

一番謎な存在、「安室」についてです。綾野剛めっちゃかっこいいいいいいいいいい。

個人的には最後に彼の招待が暴かれて、どんでん返しが来るものだとばかり思っていましたがまるでそんなことはなかったですね。「安室」という名も彼の名の一つでしかなく、そして彼は「名前なんか大事じゃない」と言ってましたね。彼は完全にリップヴァンウィンクルを森の奥へ誘い込む男性でしかなく、アリスの前を走るウサギでしかなく、またどこか人間味があって冷血漢、「人ではない何か」です。ぽっかり開いた穴のような存在ですね。意図的に時に強引に七海を非日常に連れ出す役目です。そして上記に書いたように引っ越し後、「安室」が七海と関わることはなくなります。それは、七海が「生き返り」現実に帰って行ったからです。

チョコを七海に渡す時、彼は言いますよね。「あなたを自分に惚れさせることができる」、「この距離はあなたが詰めたんですよ」、と。ちょっと怖いけど綾野剛の色気が溢れているこのシーンですが「あなたは私の手のひらの上にいる」「しかし、この非日常に迷い込んだのはあなた自身なのですよ」と、実はそんな解釈もできるのじゃないかな、と思いました。

 

二人の「愛」の形について。

「真白」・「七海」二人の「愛」というのは「同性愛」とは少し違くて、いや、どちらかというと「家族愛」も「恋愛」も「友情」も同じ「愛」のうちの一つ、と言った方が正しいでしょうか。問題はその度合いであったり、相手に求める強さなんですよね。七海の両親は離婚はしてるものの、二人とも子の七海を普通の親として愛しています。鉄也の母はそれを超し、男女の恋愛ともとらえられる形で過剰に息子を愛してます。鉄也はおそらく男女の恋愛として七海を好きで。でも七海はまだ誰かを本当に愛することを知りません。それを教えてくれるが真白です。恋愛などある意味超越した愛情(真白がベッドで「怖い」と語る無償の愛)が二人の「結婚」となるのです。それが「私と死んでくれる?」であり、自分の身を投げてでも相手を想う強い気持ちなのだと思います。

元々の根幹は「友情」であり、その根っこは「恋愛」に変わったとかではないという話です。

 

 

七海が服を脱がない理由について。

真白の母親が突如服を脱いで、真白が死ぬ気でやっていた仕事(AV女優)に涙するシーンがありますね。何を狂ったのか安室も脱ぎ出します。その中で七海は服を脱ぎません。これも完全に妄想レベルのお話ですが、「リップヴァンウィンクル」現象が死んだ時点で既に現実世界に戻りつつあるんでしょう。だから「夢の住民」と同じ行動をとらない。また、彼女は「リップヴァンウィンクル」と同じ気持ちになる必要はないのです。だって彼女は「リップヴァンウィンクル」の「花嫁」であり、二人で対なのですから。

 

 

 

 

色々だらだら書きましたが、過剰な期待をしていたせいで綺麗な終わり方に少々物足りなさを感じてしまいました。が、Coccoさんの世界観が好きな人とかは、なんとなくジーンとくるものがあるかもしれません。

そういえば、この黒木華さんのポジション、昔なら間違いなく蒼井優さんのポジションだった気がしますが、時代の変化を感じますね……。いや、黒木さんとても七海らしくて上手でした。

なんもまとまりないですが、今日はこの辺で。