居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

病人と老人と、暮らす話⑤

暑い。暑すぎる。

ぐったりしています。

四畳半の部屋に扇風機しかないのでがっつり蒸されております。

シューマイになる日も近い。

 

さて先日仕事の関係で前職の後輩に会ったんですが、

一人暮らしを止めて実家に帰ったというのです。

 なんとなく感づいていたのですが理由を尋ねると

家族ががんになったとのこと。

しみじみ、2人で「家族でなる病気」だよなあ、と話しました。

ある程度死が見える病気にかかると、周りがそれを無視するのは難しいんですよね。

よほど絶縁状態じゃなければ、生活が変わります。

もう死に方の一つとして、「がん」というカテゴリーがあるような。

30歳手前、ここで親が病気になる人がぽつぽつ出てきますね。

そして自分の将来を思うと怖いですよね。

後輩も相手がいなくて、「もし人生このまま一人で、そして病気になったら」って話もしました。

後輩はたくましい未来について語っていましたが

私はやっぱり適当な年齢で死にたいかなあ、と思った次第です。

 

前回の続きから。

 

母親が最初の抗がん剤治療を始めてから終わるまで

8か月くらいかかったでしょうか。

その間、私の心は暗くなるばかりでした。

治療の途中、仕事のキツさやその他もろもろで転職したが、実は母の看病も見据えて。

最悪家でも仕事ができるように。

結果としてはその判断は合っていました、が、その前の時点で治療の副作用で癇癪が増えた母親の相手に精神がすり減っていきました。

他人を羨んでしまうSNSや実際の友人関係からも遠ざかり、仕事と看病という2つだけの生活がだらっと続きました。

そんな私の塞ぎようを見かねた友人たちが声をかけてくれ、基本的に土日は母のためにあけていましたが1日だけ、母に許可を得て友人たちと遊ぶことにしました。

しかしその前日、母親が

「家賃1か月分払って」と言ってきた。

当時住んでいた家賃は13万。治療費の一部なども持っていた自分としてはびっくりしました。

家賃は大体一緒に住んではいない父が払い込んでいたが、最近それが滞るため、支払いの一部を払い込むことも増えていましたが丸々払えと言われたのは恐らくそれが初めてだったはず。

なぜ前日に言ってくるのか。

貯金も徐々に減りつつある自分としては、

翌日友人と遊びに行く元気はあっさりとなくなり、

1つの指針であった

「その日だけは友人と思いっきり遊ぶ」

がボキリと折れ、

不覚にも母の前で泣いてしまいました。

母親は私が泣いている理由が分からず

「自分も住んでいるのだから家賃を払うのは当たり前」

「死ぬかもしれない私(母親のこと)を一番に優先するのが当然」

と言い放ちました。

 

一応許可をもらってはいたのですが、

母親は私が友人と遊ぶことがどうやら内心気に食わなかったようです。

それが前日に家賃を払わせることに繋がった、と言うわけ。

でも仕事と母の相手ばかりの生活に、

その「1日だけ遊ぶ」という予定がどんなに私を支えていたのか彼女は知らなかった。

 

だから泣いている私を

「馬鹿々々しい」

と言った。

 

母は既に死んでいて、

しかし、

死ぬ前

非常に良くないことをする

親であったことを

私が生きている間は

忘れられないだろう。

 

父親に早々と

見限られ(まあ母も彼を見限っていたが彼女は男性に裏切られた、と感じることが少ない人生だったためこれがショックだった)

残った子どもを頼る気持ちもよく分かるが

彼女の場合はそれ以上に支配しようとしていた。

 

それは昔から。

 

その点に関しては私より幼い人間だったと言える。

病気も怖かっただろう。

でも

人を自分のものだと思うのは

愚かとしか言いようがないのだ。

 

家族でも他人です。

それは当たり前のことなんですよ。

 

次回再発編予定。