森見登美彦『夜行』 ※ネタバレ
『夜は短し歩けよ乙女』4/7に全国上映だそうで。
ロバート秋山(パンツ番長)さんが気になりますね、いい声。
多才な人で憧れます。
さて、最近ほとんど本を読まなくなりましたが、本日久しぶりに森見登美彦さんの
『夜行』を読んだのでその話を。
お恥ずかしながら森見さんの本は乙女三部作以外は読んだことがなく、
しかし「10年目の集大成!」などと書かれると気になるわけで読んでみました。
作品の内容に触れる前に、少し表紙の話をします。
いいところはカバーを外すと色上の厚紙が折られ、
どことなく懐かしい絵本のように夜行電車の窓が印刷されているところ。
やっぱり嫌だなあ、というのは正面を向いた女性のイラストが載っていること。
読む前から違和感がありましたが、読み終わってからもやはり変だなあ、と思ってしまいました。なんとなく、邦画の予告のように作品の宣伝のために、作品のウリをずらしているような気がしました。なんとも言えないですが、表紙の女性が誰とも判別がつかなくなるのです。まあ長谷川さんなんでしょうが、長谷川さんという女性は乙女三部作のように容易にキャラクター化いけない女性なのです。
ちなみに明るい夜の絵と緑味の本文用紙もいいと思いましたよ。
さて、以下がっつりネタバレ含む感想です。
気になったことをダラダラと書いていきます。
オチも何もありません。
ーーー10年前、京都三大奇祭の一つ、鞍馬の火祭りにて長谷川という女性が神隠しのごとく姿を消した。そのことにぽっかりと心に穴を空けたままであるかつての英会話スクールの仲間たち、”中井さん”、”武田くん”、”藤村さん”、”田辺さん”は”大橋くん”の誘いによって再び鞍馬の祭に繰り出すため顔を合わせた。しかし、祭の出発前、”大橋くん”の「長谷川さんに似た女性を追って入った画廊にて”岸田道生”の銅版画連作”夜行”を見た」という話によって、ほか4人の様子が変化した。実は4人とも”岸田道生”の”夜行”にまつわる不思議な経験をしていたことが分かり、一人ずつぽつりぽつりと語り出すのだった。ーーー
一人ずつ話をするのですが、まず不思議だと思うのが中井さん”、”武田くん”、”藤村さん”の話の結果「どうなった」が分からない、かつ、想像される展開が「何故ここに」彼らがいるのか読み終わっても分からないのです。
しかし、押し込まれるように読者は次の語り手の話へと移らされてしまいます。
各語り手の不思議な体験も不気味ながら、語り手自身にも不信感を持たせるのがこの話の最大にしてミソでもあるのです。ここで顔を合わせているのは本物なのであろうか?と。
語り手たちの話は全て非日常で、恐ろしいながらも耳を傾けてしまう魅力があります。これら各々の話はホラーといいますか、不思議と綺麗な情景もあって狐にこちらが化かされているような気分になります。中井さんと藤村さんの話を読んでいた時が個人的にこの小説を通して一番いきいきしていたかもしれません。
それらの中に決して多くはない”長谷川さん”の情報がちりばめられています。かつて確かに存在していたはずなのに、なんだか幻のような、夜の中に溶け込むような女性である”長谷川さん”の情報がちらりちらりとする中、”田辺さん”の話によって謎の女子高生の登場と”岸田道生”と”長谷川さん”の共通した部分が結び付けられます。
”長谷川さん”で表現される夜というものが非常に不気味に映る話です。
この 小説のネタバレを一言でいうと表裏一体。光と闇がぴったりと、くっついた世界のお話なのです。
先ほど”長谷川さん”の情報がちらちらと出てくると書きましたが、その少ない情報で読み手側は”長谷川さん”(または女子高生)と”岸田道生”の共通点を見つけます。
「世界はつねに夜」
進行されるこの世界は『夜行』の世界。幻の対連作『曙光』はこの世界では絶対に見つからない。
「闇はどこにでもつながっている」
光と闇はぴったりとくっついており、ほんの少しの揺らぎで二つの世界を入れ違えてしまいます。おそらく、”4人”は『曙光』から『夜行』へやってきたところで話が終わっている、そういうことなのでしょう。
”長谷川さん”に象徴された夜の女は、”岸田”から、人の心から生まれた闇。
『夜行』が闇の世界へ誘うのも当然のことなのです。
しかし、ここで不思議なのは何故『曙光』世界で行方不明になっていたのは”大橋くん”であったのでしょうか。もちろん予想としてメインの語り手である彼に何かが起こることは間違いなくあったけれど、あまりにも”大橋くん”という人間は薄っぺらい。後半『曙光』世界の描写のあたりで膨らましてくれた方が最後の終わり方にじん、と来たかもしれません。まあ”大橋くん”についてはさて置き、”長谷川さん”と”岸田”の表裏一体が描かれていたはずなのに、なぜ突然の第三者が出てくるのでしょう?
表裏一体のテーマではなく、実はパラレルワールドの話なのでしょうか?
それでは全員分が失踪している世界がそれぞれ描かれてなければ納得が行きません。
そういう展開ではないので、おそらくは光と闇が誰しもに存在する、という解釈をすべきなのかと考えております。
他に気になったことと言えば、家についてです。
普通に考えてみれば家は帰る場所、外界から守られるシェルターといった温かみのある表現で描かれることが多いかと思いますが、今回は180度、役割が異なっている。
①踏み込み過ぎると戻れない(気がする)。
②誰もいない場所のようなのに誰かがいる(気がする)。
③暗い
と言った共通点で書かれていた家(もしくは建物たち)。雪が降っている舞台では、白い世界に本当にぽっかり穴が空いているような、『夜行』世界への穴としての役割です。
何故このような書かれ方をしたかというと、”岸田”が旅行をせずとも連作を完成させたのは「闇がつながっている」ためであることが関係しているような気がします。
また”岸田”以外にも”長谷川さん”は10年前の夜に閉じ込められた人間ですので、再び閉じ込められるという感覚が銅版画を超えて家という柵として現れたのかもしれません。そしてその柵を超えて、夜は人に出会いにいくのです。
言ったでしょう。オチはないです。