居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

海獣の子供 ・ ネタバレ含む感想

半年以上放置してしまった……。

令和も始まってるし、

罪深い。。。

 

何とか生きています。

年末宣言していたかのように仕事に没頭しております。

飽き性の自分なりによく続いてるなー、と感じています。

でも仕事とか私生活の話はまた別の機会(記事)に。

 

今回は一か月前に観た映画「海獣の子供」に感動した話について。

ついこないだ観た気がしましたが

既に一か月経ってるので時間の歪みを感じますね。

 

私の映画についての感想は、

観た人と話す感じなので観てない人だとよくわかんないと思います。

すんません。

あとお酒飲みながら書いているので記憶が曖昧です。

ほんとうにすんません。

 

 

あらすじ

チームメイトとコミュニケーションが取れず、いざこざで

そのまま部活停止をくらってしまった琉花。

「私の夏休みが終わってしまった」と感じた琉花は

別居中の父親が働く水族館にふらふらと向かう。

そこで出会った不思議な少年、海。

後日病院から退院した、海の「兄」という空。

ジュゴンに育てられ、水族館で「経過観察」されている二人。

どこか浮世離れした二人に惹かれ、そして導かれ

琉花の長い夏が始まるーーーー。

 

 

ここまで書くと「夏休みあるあるひと夏の不思議系映画」の気がするんですけど

 

違います。

 

この映画をみるべきは

哲学や生命の神秘とか

そういうものに捕らわれている人だと思います。

あとは捕らわれる素質がある人にも見たいですね。

 

この映画というか原作もなんですけど

テーマが「生命」なんですよね。

やんちゃざかりの子どもが観てもポカーンだと思うので、

(映像は素晴らしいのでその辺で何か感じて欲しいですね)

とんだ映画詐欺にあった方もいらっしゃるのでないでしょうか?(褒めてます)

 

「水族館に3回くらい行った気になる」と聞いた感想が気になり、

行ってきました。予備知識もゼロで、珍しくネタバレも読んでいません。

 

まず圧倒されたのは映像。原作を大切にしながら

(原作を読んだのは映画の後ですが、とても大切にしていることがわかりますよ)

こんな感動や「体感してくれ」と叫ぶような映像が作れるのか……と感動しました。

 

あとはテーマの重さ。星の誕生と、宇宙と、包み込むような海と。

生命と。

「生きる」というテーマだと感じることができ、

純粋に

「すげーーー。この意味わからん哲学を映像にするのか!」

とめちゃくちゃ感動しました。内容はともかく。

この映画をみて少しでもこの哲学(だんだんこの表現が正しいのかわからなくなってきたぞ)が頭のすみっこに引っかかってくれる人が増えてくれると

幸せですね。

 

私自身は大学で文学を勉強していたことや、星野道夫さんの本に感化されてアラスカにまで行ってしまった人間なので自然や、生命の誕生、宇宙(空)と海との関係性などに全く抵抗なくすんなり世界観に入り込めました。

 

ただ入りこんだからこそ気になったことが大きく4点。

 

・ラスト、参加停止されていたハンドボール部に戻る(というかケガさせたチームメイトと和解するような表現のある)琉歌。

・隕石を飲み込もうとする海を止めようとする琉花。

・最後畳みかけるように、琉花に「アンサー」を渡すデデ。

・映画のキャッチコピーである「大切な約束は言葉では交わさない」。

「言葉では交わさない」はまだ分かるんだけど「約束」って?

 

この4点が気になって気になって、仕事が手に付かなくなってしまったので

(私にはこういうところがあります)漫画を購入しました。

ちなみに仕事で急いでない本に関してなるべく書店で買うよう努力してます。

文教堂、がんばって。

 

話がそれましたが、私が不自然に思ったことの全てのアンサーが原作にありました。

読んだあと、すごくすっきりしました。

なんとなく気づいていたことですが

やはりうえ3つについては原作にないシーンです。

映画に落とし込むために発生したシーンなんですね。

でも映画という形で、映画を作った人はこう伝えたかったのだんだろうな、と

思って別に嫌な感じじゃないです。

これは社会で働いて、自分がモノを作る側の人間になったからの感想だと思います笑

大学生のころだったらボロクソ言ってたかも笑

でもそれも、やはり原作が好きだからです。買って良かった。。。

そして映画を作った人たちが、原作を大切にしているのもよくわかります。

大雨の中、琉花が自転車をこぐシーン。あのシーン観るだけでも1800円払う価値は十二分です。すごいです。

 

最後の「大切な約束」。それはデデと琉花の母親、ジムの過去、アングラードの行く末、「海を見た」人々のレポート、「おばあちゃん」と呼ばれる琉花の語り、それらがないと「分からない」。それこそが言葉が言葉にならない、くじらのソングのようなものだから。

 

ああああ。言葉って不十分ですね。

大切なんですよ、言葉。

語らないと一番大切な人でさえ分からないし、伝えられない。

でももともと私たちというか、生命が言葉なんかに押し込められるものじゃあないんです。テキストを扱う仕事ながらすっかり忘れてました。大切なことを。

 

ここから勝手な私の感情ですが、

仕事したり日常にながされているとなにかしら整理がついているものが

強いって思ってしまうんですよ。

「こういうマーケティングでこれが売れる」

「これが一般的な考え方」

「常識」

「この年代はこれが気になる」

働くためにはめちゃめちゃ必要な考え方です。

それでヒット商品やサービスを作る人もいるんでしょうし。

でも、

でもね。

それは仕事という「人間が課したルール」とか

「他人と円滑に過ごすため」のスキルであって、

あなた個人のようなちっぽけな存在に、

逆に生命とかでかい範囲で考えると

全然整理なんかされてなくていい。

言葉になんかしなくていんです。

もっと自由に。

大事なことはそんなことじゃない。

 

なんか上記みたいな感情が溢れて、「怪獣の子供」に救われた気がして

めちゃめちゃ推したくなりました。

 

疲れてしまった人とか、先生とか、

かつて生命の底深さとかに興味を持っていた人とか。

 

そんな人に届いて欲しいですね。

そして一晩中、色々な話を、朝も気にせず、

そんな話を青臭いなんて全く思わない空気の中で、

語り合いたいですね。

 

相も変わらずオチはなし。