居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

病人と老人と、暮らす話④

ご無沙汰しております。生きてます。

今日も人間やっておりますよ。

 

夏の気配がしてきていいですね。

個人的に夏と冬が大好きです。

夏の祇園とかにいつか行ってみたいですね。

最近どっかに行きたい欲が激しい居酒屋焦げ鍋店主です。

 

 さて。映画の話(「シェイプオブウォーター」の)をしようと

思ったのですがその情熱がなくなってしまった&詳細を忘れたので

もう一度見返す機会があったら書きたいと思います。

偏見とか思い込みとかのテーマで。結構重くなりそうな内容だな笑

 

ってことで今回は母親の話の続きを。

(なんだかんだでまだ4回目なのやばいな。ペースあげたい)

 

子宮体がんの治療として、子宮を切り取った母親。(リンパはそのまま)

不思議なことで。子宮って左右対称な形をしているので

切ってもなんもなさそうですが

なんと術後フラフラして歩けなくなるようで。

ずっと身体にあった臓器を一つとるってなかなかすごいことなんだな、

とぼんやりその時は思いました。

数日は傷の痛みでヒーヒー言っていた母親ですが、

数日後にはわりかしケロリとしていました。

医師からは無事に手術が終わったこと。取った子宮を解体して正しい癌のステージをこれから判別させること、など説明がありました。

ステージが判明する前ですが

治療の後押しとして抗がん剤治療を開始しました。

子宮体がんの抗がん剤治療は大きくわけて3つしかなく、

その中で最もポピュラーなものを開始しました。

 

そこからです。本当に大変だったのは。

 

副作用。抗がん剤治療をしても何も影響なくケロリとしている人も世の中にはいらっしゃるそうです。

しかし母は大多数の人と同じく、副作用に悩まされました。

嘔吐の繰り返し。私たちみたいな他人のにおいや洗剤のにおいに敏感になり、時には何の脈絡もなく吐いていました。

この時はまだ母親も入院初心者だったので個室じゃないと吐けないと言っており、確かに初めての抗がん剤治療ではなるべく個室を選んであげた方がいいのかもと今は思います。(ただこの後何回も入院するので全部個室は本当にきつかった。最初だけでいいと思う)

 

そして慢性的な気持ち悪さから、常に不機嫌になりこちらがたしなめても

「病気になった人しかわからない。あんたには永遠わからない」

と怒鳴るのが毎回になりました。病院でなかなか身体も動かせず、ストレスも溜まりますのでまあ仕方ないと言えど、涙目でそう怒られるとこちらは何にも言えません。

 

そして脱毛が始まりました。この事実は分かっていても本人にはショックで。ああ、自分は病人なんだ、と強く自覚するようです。

ここから母親の精神状態はさらに不安定になり、何を土産に持って行っても不満を言われ(治療に金がかかるので大したものを持っていけなかった)

「私は癌でいつ死ぬか分からないのだから優待されるべき」

という思想が高まっていきます。

うちの母親はわがままな気質にこの思想が高まったので様々なことに態度が横柄になりサイアクでしたが

世の中で謙虚に生きている人は少し真似してみてもいいと思います。癌じゃなくてもあなたの人生なのであなたは優待されるべきなんですよ、と。

うちの母親は露骨に店やタクシーに文句を垂れるようになって

ダメダメでしたが、普段謙虚な人は自分の好きなことを自分が生きているうちにいっぱい選んでみてください。

 

抗がん剤の投与は3日くらいの点滴とそれを洗い流す水の点滴。7日間入院しても、家に帰ってくるとまだまだ不快感や吐き気が強くプラス一週間休まないと仕事には出かけられない状態でした。

 

また、同時に始まったのが摂食障害味覚障害

変にカステラを食べだしたり、麺類が食べたいと言って何か作って目の前に出すととたんに食べたくなくなる。やたら塩気を好んだり、全く味がしないものを欲しがったりして普段の料理に加えてもう一品作る羽目に。

たまに母が元気な時に作ってくれる料理はかつて

調理師免許を持っていると誇っていたその味とは全く違うものでした。

そんなのの繰り返しでした。

母が食べた!と思って同じ味のおかゆばかり作ると

「飽きた」

となじられるので、今でもおかゆのレパートリー本があれば

癌患者と暮らす家族にめっちゃ売れると思ってます。

 

癌は家族でなる病気。

癌の本や病院で配られる資料にもよく書かれていますが

 

ホントそれな。

 

病人はどんどん不安定になっていき、

一緒に暮らす人は振り回されてどんどん疲弊していきます。

 

たまにしおらしく

「ごめんね」

と母に言われたりしますがその直後の

「でも癌患者はみんなこうなるし、仕方ないんだよ」

って言葉に死ぬほど腹が立ちました。

そして当時営業職であった私は仕事を休むことが多くなり、

残業する日がどんどん増えて

より暗くどんよりした感じの人間に。

そして営業という仕事が

人の看病をしながらする仕事ではない、という意識も高まっていきました。

 

なんとなく負の連鎖にこのぐらいからハマりだして

私の気持ちもダウナー気味に。

 

次回は私個人の心情とか。の予定。

またしばらく時間が空くかもですが更新がんばります。