居酒屋 焦げ鍋

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※ネガティブ注意

「マチネの終わりに」ネタバレ含む感想と個人の話

連休でやりたかったことの5割も達成できてないと絶望するのはなんででしょうね。

 

どうも、体調不良でほぼ連休寝込んでた人です。

社会復帰しづらい……。

年末からずっと忙しかった人は、たぶん私と同じ感じだと思うのでよく食べ、良く寝て、温めてください。

 

さて、本を読みました。

平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」です。2016年出版の本です。

別にブログ書く本の基準とかはないのですが、この本の感想を書いた個人的な恥ずかしい理由も後々書いております。

まあ、、、ブログ書いてる時点で結構恥ずかしいんですけどね。

 

 

あらすじ

物語は、蒔野聡史と小峰洋子のーー二人にはモデルがいると前置きしておきーー恋愛事情を書き留めたかったという書き手の告白から始まる。

 

天才クラシック・ギタリスト蒔野聡史はスランプに陥っていた。

名演と評されたデビュー20周年のコンサートの最終日でさえ、蒔野にとっては不出来としか思えなかった。

その日の講演後の楽屋に、レコード会社ジュピターの是永がジャーナリスト小峰洋子を連れてきた。

これが二人の出会いであった。しかし、実は、この日を含め、二人が出会うのは3回だけである。

ギタリストならば皆知っているという映画「幸福の硬貨」の監督イェリコ・ソリッチの娘でもある洋子はすぐに蒔野の関心を引くことになり、打ち上げに参加することとなった。そこで二人は「過去を変えられる」話をし、言いたいことが通じた感動を互いに持つ。会もお開きとなり二人は別れたが、二人は「朝を一緒に迎える」という可能性があったのではないか、と考えが心に浮かんだまま消えなかった。

偶然にして出会った、互いにとっての運命の人であったが、蒔野のマネージャー三谷早苗、洋子の婚約者リチャードたちを交えながら、運命はすこしずつ変わっていく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。恋というのは不思議なもので、どんな理屈もぶっ飛ばす力がある。

突如、映画で登場人物が奇妙な行動をとったとしても、「恋をしたから」でとりあえずのいい訳はつく。恐ろしい。

当たり前ですが、個人が存在するから恋をするのであって、その感覚も個人様々。共感したり、しなかったりもはっきり分かれるでしょう。

私は個人を理解するのに、個性が顕著に反映される恋愛観に興味があり、故に恋愛小説・恋愛映画はとても興味があります。以前もどっかで書いたので、なんとなくわかっている方もいるかと思いますが、「オペラ座の怪人」「グレート・ギャツビー」みたいな、ストーカー男、愛が重すぎて大失敗!みたいな映画が大好きです。

まあ、この「マチネの終わりに」が、私にとってどうだったのか、というと

どうとでもない

というのが正直な感想です。私にとってね。

一目会って相手にぴん!と来る出会いというのは、一部の女性にとっては確かにロマンチックなものかもしれませんね。

この小説で一番読みどころなのは「すれ違い」と「可能性」というとこだと考えると、「ラ・ラ・ランド」に通じるところがあります。

互いに愛しているがゆえに「話さない」ことがあるから、「すれ違う」。「もしこうしていれば」と考えるから「可能性」を期待する。そういうところが丁寧に書かれていると思いました。

個人的に気に入っていったのは洋子がリチャードと離婚に至る流れ。「ラ・ラ・ランド」でも思ったのですが、「互いに自分の夢としては成功したから、ラストで何も言わずに別れたが、片方没落してたら互いに声をかけずにいられただろうか」問題。大体大失恋をバネに頑張れるポテンシャルを持つ人間がどれだけいるのかと。時間の流れとかが傷を癒してくれるとしても。ただ洋子は聖人なので、さほど腐らずまるで他人の共感を寄せ付けない(笑)私は彼女のそういうところが好きですけどね。最後の方のお父さんとの会話もクールです。

そして、そして。おそらく意見が分かれるだろう「三谷早苗」への評価。「蒔野」を尊敬し愛し過ぎた故に、彼女は二人を別つための罪を犯します。そもそもこの女性の語尾を伸ばす話し方が気に食わないですが、個人的には「すげえな」と思いました。彼女の葛藤も書かれていますが、よほど何かを信じてなければ、こんな恐ろしいことできないと思うんですよ。

結果として、真相を、洋子はともかく蒔野に話してしまった時点で彼女は「名脇役」ではすでになく、「主人公」に許される「ヒロイン」でいたかったというのがよくわかります。(話したきっかけがマタニティブルーによる精神的不安定だったとしても)それが、なんとなく人間臭くて、、、嫌ですね(笑)

まあ、正直蒔野の孤独を埋める人物に値するとは思えないのですが、蒔野が日和っていくのでバランスが取れるのかな(加齢によって角が取れていく、ともいう)。残念ながら三谷の魅力が伝わりづらいので、三谷のことを前半でもう少し掘り下げて欲しかった気がします。

あと、最初の「序」、必要だったかなあ。これだけ個人の心情描写を細かに書くと、第三者の語りまたはノンフィクションと思わせる理由がなかったと思います。

 

 

さて。

何故この本の感想を書いてるかと言いますと、この本は前の恋人と別れる時にもらった本なんですね。この本を私に渡した真意を色々考えると苦笑してしまいますが……。いつも互いに本を貸したり、あげたりすると感想を言い合うのですが、この本だけ出来ませんでした。最後にもらったんで。

ただ、私の感想をここに書いておきます、というつもりで。

どうとでもないよ、って(笑)

いつか何かの間違えで読んで欲しいですね。ないと思うけど。

まあ、見つけたら喜んでくれると思います。

 

彼は私にとって、母の闘病時精神的に助けてもらったかけがえのない存在でしたが、そもそもが人から褒められるような恋愛ではありませんでした。

ただ、究極は二人の問題です。馬鹿してても。馬鹿してるからこそ。

 

他人が人のためを思って言ってくれる言葉ももちろんありがたいんですけど、なんか、恋愛って二人だけの共通の見えない何か(片思いだっておそらく自分にだけ分かるだろう何か)で会話するんだから、余計なお世話の時ももちろん多々あるんですよ。だって当事者じゃないし、そもそも恋愛自体が感覚的なもので、二人の中のルールを見つけるものですから。

ただ、その見えない何かに頼りすぎたり、自分の脳内の相手と会話すると真実から徐々にずれてしまいます。そのずれを直すために、他人の言葉に耳を傾けるのはいいと思います。あと、自分本位になり過ぎたと自覚した時ですね。

これはいつも自分は色々間違えてしまうので、直したいところです。他人の立場の時、特に。

 

この本、気持ち的にずいぶん読めなかったんですよね。

でも、今年は変わるので読みました。

 

お元気で。いつまでも。

では。

今日の話は色々余計でした。すみません。

 

追記

この話どうして「どうとでもない」のかしばらく悩んでいましたが、分かりました。

心情が事細かに書かれ過ぎてるんです。

ある程度、相手はこの時どう思ってたのかとこちらに想像させる余地があれば良かったのですが、そういう相手がリチャードしかいないんですよ。蒔野と洋子と三谷についてはアンサーが書かれてます。

だから淡々と物語の真実を受けとるだけの印象なんですね。

あーすっきり。