居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

病人と老人と、暮らす話②

暑い……。とにかく暑い!!

皆さまも本当に同じこと考えていらっしゃるかと思いますが、

私の部屋の扇風機が死んだことにより次は私が死にそうです。

 

さて前回の話からずいぶん時間が経ってしまいました。

また、私と私の周辺の人の話を。

前回からのなのでがんの母の話です。

(最近二回目の余命宣告をされました。色々考えないとなあ……)

発見からの第一の治療についての話。

 

 

私の母の病気、「子宮体がん」が発覚した。

ところで子宮体がんは「生理のような出血」があることが特徴で、

早期発見・よく言われる5年生存率(5年以内に再発しなければ、再発リスクがグンと下がるという、大雑把に言うとがん患者の目安になる目標期間である)が高い。

しかし、また皮肉な話のようだが生存率が高いがんというのは優先的に開発が進められない。なにを言ってるかというと、子宮体がんはがんの中でも選択できる抗がん剤の種類が少ない。「子宮体がんに特化した薬」というのはなかなか研究されないものだという。(これは母を担当した医師が嘆いていた)

 

またがんのステージというものは、がんが発見された時点では正確にはわからないものだ。(まあ、これも私の母の場合だが)というのも、よくがんのステージ判定に使われる「リンパ節に転移しているか否か」というものは実際にリンパを切除して見てみないと分からないとのこと。リンパ節の転移によってⅠ期であるか、はたまたⅢ期になるか……というところなので知りたくはあるが、結局のところリンパ節を取り除いても、医者の眼が届くところまでだ。細かい箇所の取り残しや内臓損傷の可能性がある場所は取れない故、リンパ節を全て取ったと言い切ることは難しいし、そのこぼれた部分にがん細胞が残っていたら本当に意味ない。この話はのちのち関係してくる。

 

母はとりあえず「がん治療の実績がある」「産婦人科の評判がいい」という理由でとある病院、地元のクリニックで紹介された実家から通いやすいA病院に行くと言ったのでそのようにした。

ここでまず間違っていたのは「何のがんの治療の実績があるのか」ということをきちんと調べなかったことだ。A病院、確かにがん治療の評判はあるのだが「子宮体がん」についてではなかった。そしてA病院での婦人科というのは「お産」に強くて評判がいい、ということは通い出してから分かった。外来担当医が「僕は”がん”は専門じゃないので分からない」と診察の途中でキレ出したことがあって……という経緯で(苦笑)ひどい話だ。

結果としてだが、がんの病院を選ぶ時は「がん患者」と「がん患者の家族」に聞くのが一番いいのだ。

可能であるならばがんになった時点で「がんです!情報ください!」とリアルの生活で叫ぶのだ。がんは個人によってほんっとーに多様な症状なので、リアルで会える人の方が質問できる分、自分に合う病院かどうかというのが判断つきやすい。

実際急に会社を休みがちになり、親の病気事情を開示した私には、「実は自分の親も……」と言う人がやってきてくれたり、人や本や記事を紹介してくれた。

もっと早く言えばよかったと思った。

ネットは闘病記録が多く、病院の情報が少ないし、はっきり言って闘病記録は途中で途切れてしまっていることも多いので本当に精神的にくる。

どうしても気になる情報があるならば絶対他人に調べてもらった方がいい。

本当に当たり前の話だが、病気と闘う時って、特にその本人のモチベーションがすごく大事になってくる。うちの母親も完全にそういうタイプだったが、がんと告知された時点で自暴自棄、やたら情緒不安定ですぐ泣き出した。すぐ治療を止めると言い出す。そんなヤツと一緒にいるとこっちだってしんどくなる。相手のモチベーションを上げつつ、また自分のテンションも下げてはいけないのだ。病気って一人かかると、いいも悪いも周りの人に完全に影響する。病気だけじゃなくて色んなものと闘うのだ。

 

 

話は逸れたが、A病院で紹介された治療とは、子宮の全摘出。そしてリンパ節の切除だ。(リンパ節に転移している可能性も含め)

悩んだ。

子宮の全摘出はもう本人が嫌だと言えどやらせるつもりであった。

しかし、リンパ!

上記書いたように完全に切除できない点や、身体のどこまで回っているか分からないのにリンパを取る!

それは!

どうなのか!

人に因りけりだが、リンパ節切除後には副作用で浮腫の恐れがついてまわる。

浮腫のための厳しいリハビリがある。

それがなんだ命のためならやればいいじゃないか、と思うかもしれないが、本当に母がほとんど歩けなくなるかもしれないのだ。

ここでは嘘はつかないので書くが、それは私または姉が永遠に母親の呪いから抜け出せないことを指す。私は口が裂けても言えなかった。「リンパ取りなよ、一生私が面倒みるからさ」、なんて言葉は絶対に言えなかった。姉も一緒だったと思う。

もちろん浮腫の症状がほとんど出ない人もいる。しかし、当時母親は体重80㎏超えの肥満体。手術担当の医師からも「痩せて欲しい」とお願いされた。もともと体重のせいで足を悪くしていたこともあり、浮腫の可能性は高い、と言われていた。

私は運転ができない。姉もできない。そもそも車が我が家はない。

家をとうの昔に出て行った飲んだくれ親父に頼みたくもない。

浮腫が出た際、どうすればいいのか。絶望した。

手術医が第二の提案をしてきた。

子宮の全摘出、その後抗がん剤(TC療法)治療だ。

結果として、そちらを取った。私と姉が選ばせたのだ。

その罪はある。でも本当に怖かった。歩けなくなった母親に残りの全ての人生を捧げるのが。

実を言えば、これが姉だったら、私は……きっと違う判断や考え方をしていただろう。

 

 

そう、私は人を選ぶ。でもそれはもう、私はそういう人間なのだ。

いくら冷徹と言われようが、逆に同情されようが心の奥、ずっと下では人を選ばざる得ない機能が私にはある。

でもこれは私を安定させるゆるぎない機能の一つなので、頼りにしている。

私の周りの人を定める機能。そうでもしないと、自分が傷つく。

自分のことを、少なくとも、精神的には守りたいという気持ちは、ずっとある。

 

ずっとあるんです。

自分との別れが自分の終わりですから。

 

 

次回、治療編と病院との不和編になるかな。

これ長いな……。大丈夫か……。