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死にたがり屋の誕生日

 待ちに待ったしいたけさんのしいたけ占い、2017年下半期が発表されましたね。

2017年下半期しいたけ占い | VOGUE GIRL

 

もともと占い好きなんですけどしいたけ占いに関しては

①すごい励ましてくれる

②内容が恋愛寄りではなく、人生

という点ですごくお気に入りです。

当たってるとかを見るためだけじゃなくて、一度立ち止まるためにでも、ぜひ見てください。占いって万人にハマるわけじゃなくて、でも、自分のことが当たりやすい占いってある気がします。

 

さて、私ふたご座なんです。

誕生日を迎えました。本当は「病人と老人と~②」を更新しようかと思っていましたが、もっと自分寄りの文章を書くことにしました。

暇ならどうぞ、という程度。です。

いつも以上に中身がない。というのは他人にとって、という話。

本当に私個人の話なのですよ。

 

 

人は誰しもコンプレックスがあることなんてこたぁ、分かってますよ。

でも、頭でわかってても死にたくなるんです。

 

なんで誕生日の話題からこんなこと書いてるのかと言うと、誕生日って死にたくなるんですよ。

祝われながらも「こんなに生きてしまった」「まだ死ねる準備ができていない」「将来どうしよう」沸々とこういう考えが、腹のあたりに黒い液体流れ込むようにずっしりと、溜まっていくんです。

これ、毎年家族に祝われているからなんですよね。

私は何かしら家族に不満を持っているんです。でもその不満を持ったやつらに血のつながりを強調するようなイベントでかつ祝われているんですよ。

いたたまれなくなって、いつも「自殺のことを忘れちゃいけない」って追い詰められるところがある。(中学生ころから「自殺」はずっと私のテーマにあって、私が自分を「15歳くらいな気がする」とよく言うのはこのテーマができた時期であることとか、あと血がダメになったこととかが関係している。別に常に「自殺したい」とかそんなことじゃないですけど。この話もいつか書くのかなあ……)

他人には歳をとることを嘆いているようにとられているだろうけど(まあ歳をとるのも嫌だけど)、それ以上に私にとって誕生日って「家」から出られない呪いの儀式みたいなところがあるんですよ。

 

それの”わーーーーーーーーっ”ってなる気持ちを今までは自分の恋人にぶつけていました。(ぶつけ方は様々ですが)

元々「自分の片割れのような恋人がいれば、人生を強く生きられる」と思っていた自分は、そういうことしてむしろ「片割れだった」恋人とズレ出すことがあって。いや本当に情けないです。未熟の極み。

 

まあ、でも現在そのどろっとした感情をぶつけるような恋人もおらず、ちょっと誕生日を迎えることに心配していました。「死にたい」って気持ちが増すんじゃないか、と。

 

でも実際は意外な程に大丈夫だったんです。今もケロッとしてる。

いやもちろん家族に祝ってもらった時には結構嫌な気持ちもあったんですけど、布団にくるまってブツブツ言ってるような誕生日にならなかったんですよ。

 

なんでか。

色々考えたところ、もしかして自分のコンプレックスの一部が癒されてるんじゃないか、という仮説に思い立った。コンプレックス、「家族に対しての嫌悪感」を増長するための起爆剤でもあり、「家族に対する」以外にもちろん「自分に対する」たくさんのそれがある。

では何コンプレックスが癒されたのか?

それは確信できるんです。間違いなく自分の「一般的に劣るところ」です。

 

自分で「一般的に劣る」と思ってるからコンプレックスなんだろ、という正論もあると思うので、もっと詳しいことを書きます。

私、ゴミ袋とか最近まで結べなかったんですよ。

結べるっちゃあ結べるんですけど、ごみがでないようにちゃんと結ぶことができない。

そういう、他人が「何でこんなことができないの?!」って思うことが自分にはたくさんあって。

時計がぱっと読めない。髪がきちんと結べない。ホチキスがうまく使えない。セロテープがうまく切れない。階段がうまく降りられない。などなど。

すげーーーどーーーでもいいーーーー!!って感じのことなんですけど、これこんなに細かいが故にすごく日常的に細かくダメージを受けるんですよ。

「あ、私はこれできない。でもこれって普通はみんなできることなんだよね?」って。

(誰も気にしてないことを願いますが……)

 

できないんですよ、今でも色んなことが。

でも、ダメージをそんな受けなくなったってことなんです。

なんで?

それは長い付き合いになりつつある友人たちのおかげなんだと、思うんですよ。

 

今まではそういうコンプレックスも恋人のみに癒してもらい、恋人に「それでもいいよ」って言ってもらえることで許されてきたんですよ。

でも先日誕生日前に大学時代の友人たち何人かと会う機会があって、その中でも色々やらかしたり「あ、できない……」って感じることがあったんですけど。なんかこの人たちの前では大丈夫!って気持ちがあったんですよね。自分の駄目さ具合なんてもうバレてるから!って。

 

考えてみれば現在の大学やアルバイト関係の友人たちが、たぶん人生で初めて長く「友人」をやってるんですよね。

今までの高校時代以下の友人とは自然と疎遠になったり、そんな頻繁に会ってなくて。

ああ、自分の呪いを解くにはこんなに時間がかかるものなのか、そして解けるものなのか、と色々びっくりしたんですよね。

 

コンプレックスは死にたくなる、でも解けることがある。

コンプレックスは他人との比較で生まれることがある。でも他人が解くこともある。

根本解決には至ってないんですけど、少し変わりました。

 

友人やってくれてる友人たちに本当に感謝ですね。

まあこんな青臭い文章を起こすに至ったのも、最近の自分の心境の変化があるんです。

このままなんとなく、波に乗っていければなあ、と思います。

 

今回の誕生日、意外と純粋にうれしいという気持ちがありました。

そんな話でした。

おしまい。