病人と老人と、暮らす話①
さて、以前は母親の病気についてのみつらつら書くようなブログだったのですが、少し趣向を変えまして。
現在私(アラサー)はがん再発治療中の母と90歳超えの祖母と暮らしています。
その、まあ主に生活の辛さとか、恨みとかをだらだらと書いていけたらなあ、と思っています。(苦笑)
だらだらと、長く、続く予定です(苦笑)
まずはやはり母の話。
私の人生は彼女無しでは語れない。
私の母は浪費家で、大体のことは丼ぶり勘定。
私が小学生の時、鬱を発症してから部屋が片付けられなくなり、キツイ性格に加えて情緒不安定になっていった。これは主に父親のせいなのだが、ここでは割愛。
私が大学生になり、アルバイトをするようになってから金の無心が毎月のように始まった。高校・大学とフルで奨学金を受けていた私は(奨学金はもちろん学費に充てていた)、「私は自分で借金しながら学校に通っているのに何でこの人は簡単に私から金を取ろうとするのだろう…」とどんどん嫌悪感を募らせていった。
これは私を含めた血縁者の欠点なのだが、愚痴が多い。
朝や夜、私が居間にいる間は常に愚痴を話される。仕事であったり親戚の話であったり……。そのためご飯は掻き込んで食べなくてはならなかった。
子どもの時は絶対的な存在であった母親であったが、その当時は本当に嫌いで嫌いで仕方なかった。彼女への対応もどんどん雑になっていった。
私が働き出してからも金の無心は続いたが、私はあまりお金を渡さなくなった。家を出ようと思ったのだ。母親は仕事を掛け持ちし出した。大変そうではあったが、私は冷たく「最初からそうしろよ」と思っていた。
そしていよいよ貯金も貯まり、家を探し出してた時母親が突如「生理のように出血した」と言い出した。しかも数週間放っておいたようだった。
病院にいってこい、と強く言ったところ、検査の結果は「子宮体がん」。
近くの総合病院で手術と抗がん剤を薦められた。
保険も何もかけておらず、彼女には全くの金が無かった。
呪われているのかなあ、と思った。
この人から離れることはできないのかと。
彼女の病気が発覚したことよりも、そちらの方がショックであった。
愚痴好き故に不幸があれば悲劇のヒロインぶる彼女は、ここぞとばかり「死ぬ死ぬ」と喚いていた。それさえも見逃せず嫌悪の対象になった。
私が嫌いな女の命を救おうとするのは何故なのか。
その答えは、彼女ががんを再発させて治療を続けている今も分からない。
その答えがもし「家族だから」というものならば、私は「家族」という言葉が一番嫌いになるでしょう。
当時はがんのステージも低く、再発するとは考えてもいなかった。
そして何も考え無しに病院を決めてしまった。
それが今でも一番の後悔です。
次回はそこらへんの病気の話を詳しく書こうと思います。
つづく。たぶんね。