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居酒屋 焦げ鍋

お通しは焦げました

※ネガティブ注意

感謝の話

 

明日で現在の母親の主治医が転院するとのことで、敬意と感謝を込めてこの記事を。

 

 

ブラックジャック』で、小さな町医者が実は藪医者、しかし住民から絶大の支持を得ていて、それに感心したブラックジャックが急患の手術を手伝う……という回を未だ覚えているが、現実も医者によって患者の体調が変化することがある。

 

私の母親もその事実を証明する一人だ。

 

5年後生存率60~70パーセントという一般的な見解を覆し、子宮全摘出の手術1年後に母親のがんは再発した。摘出手術の後、念押しで一番スタンダードな抗がん剤を受け、数か月苦しんだこともあり、非常にがっかりした。

2016年春である。

治療後も通院していたのに何故発見が1年後だったのか、リンパにがんが転移していたのではないか(手術選択についてなどの話はまた別の機会に是非書きたい)、様々の憶測と不安が交錯した。

そして何より、母親の主治医に自信がなかったこと。できる限り、診たくないようで母に余命宣告後、自分の上司を担当医にすることを提案してきた。特段若い先生でもなかったが、がんに対しての経験が足りていないことはその対応だけでも十分に分かった。

母親は自暴自棄になり、正直家族としては面倒くさいと感じることもとても多くなった。基本的には「もうすぐ死ぬからもういいや」のスタンスである。簡単な動作(お茶を湯呑に注ぐことなど)も嫌がるようになった。

担当医も担当医で、再発の子宮がんに対しての抗がん剤・治療方法が少ないことばかりを母に繰り返し伝え、不安をあおり続けた。

私たちの不安とストレスがフルになる直前、私と姉はセカンド・オピニオンを受けることを決めた。

セカンド・オピニオンは1万~3万ほどで、時間延長ごとに延長料金が取られていく、貧乏人にとっては超シビアな制度だ。しかも、受けるためには現在かかっている病院の紹介状が必要で、まさかと思うかもしれないが未だ「セカンド・オピニオン」という選択肢を患者がチラつかせると担当医は嫌がる。それはそうだ。

お前の判断が最善と思えないんだよ!!!!

って言ってるようなものだ。(その通りなのだけれど)案の定担当医の態度は前にも増して冷たいものとなった。

苦心して出してもらった招待状の先は、がんの専門病院だった。すぐに返事が来たが結局は1か月近く先の予約となった。

当日、受付の人は非常に感じの良い人であったが、肝心の相談役の医師が来ない。

不安になった。結局病院を変えても意味がないのではないだろうか。治療費を無理やりねん出している当時は(別に現在もだけど)、その金が痛かった。

十数分遅れてやってきた先生は、思いのほか若い女の先生だった。きちんと挨拶もしてくれる。しかしどことなく、冷たい印象も受けた。やっぱり大きな病院の先生ってこんなものなのかな、と思った。がんの再発は治らない。一生付き合っていかねばならない病気。淡々とした説明を続け、励ましの言葉もなければ、前の病院の不手際も指摘しない。

しかし、決め手となった言葉があった。

「もう少し治療を提案できます。」

冷たくあしらわれていたように思えていたが、冷静に母の話に耳を傾けていた。

前の病院では「それががん治療のガイドライン」という言葉が枕詞かのように使われていたが、ここの先生はその言葉も否定せず、自分の知っている限りの事例と確率を話してくれる。

しかし、不確かなことは言わない。変に気をまわして、励ましたりしない。

そのことが分かると急に頼もしく思えてきた。

そしてオピニオンの最後に

「私が診ます」

と言ってくれた。あとから聞いた話だが、受付の人(セカンドオピニオン専門)が事前情報や、電話の雰囲気で担当医を選んでくれるのだ。

母もこの先生を頼もしく思ったようで、

それまで「死ぬから転院しなくていい」と言っていたが

その場でお願いすることにした。

前の病院とは色々もめたし、結果として実は前の病院にいた方が早くよくなったかもしれない、ということもあったのだが私たちは現状まるで後悔していない。

がんやがん患者への経験量・知識量が違うのだ。

それだけで、安心できる度合いがまるで違うのだ。

医者に依って治る病気も治らないことも、治らない病気が治ることもある。

医者が変わることで、患者の、病気の向き合い方が変わる。

そう、皆が実感したのだ。

 

先生も実はとても良い方で、本当にただ、常に正しい治療をするために冷静でいるだけであることは後に分かった。

私が母親の嘔吐が止まらず、朝一で電話した時もすぐに出てきて、本人を動かせない状況まで話したところ「でも、そのまま放っておくことで何も良いことはありません。どうにかして連れてきてください」と言い切った。私が根負けして、はい、というまでその言葉を繰り返した。私もゲロまみれながら、タクシーを二時間飛ばして病院に行ったわけであったが非常に危ない状況であったため、その判断は大正解だったのだ。

その日は仕事終わり、21時頃に大きなファイルをたくさん持ちながら母の様子を見に来てくれた。

そしていつもより、少しニコニコしながら席に座っていた診療の日は、がんが小さくなったことを教えてくれた。

今、色々思いついたことだけでも感謝の気持ちばかりである。

 

今3人に一人が将来的にがんになると言われていて、たくさんの患者を抱え、それでもあの先生に会えたことは本当に幸福と言ってもいい。

 

本当にありがとうございました。

うちの親も転院して付いて行くといっているのでまだまだ迷惑かけそうですが…苦笑